帰国後レポート ■参加期間:2011年3月2日〜14日 ■参加NGO:Millennium promise Japan 【はじめに】 飛行機の中寝ぼけた瞼をこすると、緑の丘岡が広がり、千の丘の国と呼ばれる意味を目の当たりにした。ルワンダに行く前の印象は、虐殺、貧困、マラリア、危険、等悪いイメージばかりだったが、実際に15日の間キガリやマヤンゲ村に滞在し、確かに貧困という現実は目の当たりにしたが、虐殺から立ち上がり、発展している地域もあり、自然が美しく、出会った人々はみな思いやりの心を持っていて、悪いイメージは日が経つにつれて薄れていった。天候はほとんど晴れ続きで、気温は20度前後であった。産業の90%が農業であるため都市部から少し離れると、畑や森が広がり緑はとても美しかった。ルワンダの物価はコーラ500mlが700ルワンダフラン(約一ドル)ほどでそこまで低くはなかった。このレポートでは、ルワンダの基礎情報、ルワンダで感じたことを論じる。 【ルワンダ基本情報】 ・面積 2.63平方キロメートル(四国の約1.5倍) <内政について> 1962年の独立以前より、フツ族(全人口の85%)とツチ族(同14%)の抗争が繰り返されていたが、独立後多数派のフツ族が政権を掌握し、?数派のツチ族を迫害する事件が度々発生していた。1990年に独立前後からウガンダに避難していたツチ族が主体のルワンダ愛国戦線がルワンダに武力侵攻し、フツ族政権との間で内戦が勃発した。1993年8月にアルーシャ和平合意が成立し、右合意を受け、国連は停戦監視を任務とする「国連ルワンダ支援団(UNAMIR)」を派遣したが、1994年4月のハビヤリマナ大統領暗殺を契機に、フツ族過激派によるツチ族及びフツ族穏健派の大虐殺が始まり、同年6月までの3ヶ月間に犠牲者は80〜100万人に達した。 1994年7月、ルワンダ愛国戦線がフツ族過激派を武力で打倒すると、ビジムング大統領(フツ族)、カガメ副大統領による新政権が成立。同政権は大虐殺の爪痕を乗り越えようと、出身部族を示す身分証明書の廃止(1994年)、遺産相続制度改革(女性の遺産相続を許可)(1999年)、国民和解委員会及び国民事件委員会の設置(1999年)等、国民融和・和解のための努力を行っている。 1999年3月には、1994年の虐殺以降初めての選挙となる地区レベル選挙(市町村レベルより下位)を実施、2001年3月には市町村レベル選挙を実施、2003年8月には大統領選挙が実施されカガメ大統領が当選。政治の民主化が進展している。同年9月、10月の上院・下院議員選挙及び2008年9月下院の議員選挙では与党RPFが勝利した。カガメ大統領は汚職対策に力を入れており、他のアフリカ諸国に比して、汚職の少なさ、治安のよさは特筆される。 <経済状況について> (1)農林漁業がGDPの40%以上、労働人口の90%を占め、多くの農民が小規模農地を所有。主要作物はコーヒー及び茶(輸出収入の60%)であり、高品質化により国際競争力を強化する政策をとっている。一方で、内陸国のために輸送費が高いという問題も抱える。 (2)1980年代は、構造調整計画を実施し経済の再建に努めたが、内戦勃発以降はマイナス成長、特に1994年の大虐殺で更に壊滅的打撃を受けた。その後、農業生産の堅実な回復(1998年には内戦前の水準を回復)、ドナー国からの援助、健全な経済政策により1999年までにGDPは内戦前の水準に回復した。 (3)ルワンダ政府は、1996年に「公共投資計画」を、2000年に20年後の経済達成目標を定める「VISION2020」を、2002年には「貧困削減戦略文書完全版(F-PRSP)」を、また、2007年には、第2次世代PRSPとなる経済開発貧困削減戦略(EDPRS)を策定し、これら戦略等を基軸とした経済政策を実施している。2000年12月には、拡大HIPCイニシアティブの決定時点に達し、2005年4月に完了時点に到達している。 (4)カガメ大統領は、汚職対策にも力を入れており、グッドガバナンスの模範国として世銀等からの評価も高い。 【参考資料等】 ※上記の参考文献、またはその他資料データ等知りたいことがあれば声をかけてください。
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