第5回育友会奨励賞応募論文


S.I.A.
〜Senshu International Association〜


W16-206 板倉 沙織

 「私たちの手でやりたい!」この言葉が私たちの始まりだった。そして、「国際協力サークルを作ろう!」「私たちの手で、できる支援活動をしよう!」これが9号館の図書館が閉館するまで続いた私たちの熱い論議の答えだった。

こうしてS.I.A(Senshu International Association)が誕生した。20046月の終わり、顧問を経済学部助教授である飯沼健子先生にお願いし、経済学部の一年次生12人で始まった。国際協力に興味のある人はたくさんいたため、メンバー集めに苦労はしなかった。

 しかし、全員が一年生ということもあり、サークル活動は手探りの状態であった。まだ学校にも慣れていない一年生が、現在専修大学にない国際協力サークルを立ち上げ、軌道に乗せることは大変な努力を要するものだった。そして、数多くの難題にぶつかった。そのたびにみんなで頭をつき合わせて答えを探した。

まずS.I.Aの方針を決めることになった。S.I.Aにはお金がなかった。しかし「募金をしてお金だけを送って、それが何に、どう使われているのかを知らないで満足しているような支援活動はしたくない。」という思いがあったため、おのずと結論は出た。「私たちが動こう!これならお金はかからない!」S.I.Aは自分たちが働くことをもって国際協力活動をしていくこととなった。

次は具体的な活動方法の決定だった。方針として考えられたものは三つあった。一つ目はどの団体にも属さず、S.I.A単独で活動していく方法。二つ目はたくさんの大学の学生が共同で運営している団体に所属し、活動していく方法。三つ目はNGOに所属し、活動していく方法である。そして検証に入る前に他の団体はどのように活動しているのかを調べた。そのため私たちの夏休みの宿題は情報収集になった。国際協力のNGOをはじめ、学生団体、市民団体など、さまざまな団体の活動内容を調べた。時にはメンバーが出向き直接お話をうかがった。そして夏休みが明け、集まった情報をもとに検証を始めた。どの方法がS.I.Aに合っているか、成果を出せるか、などが検証項目に並んだ。しかし、一番大きな観点は「私たちの手で国際協力を出来るかどうか。」というものだった。これは私たちの当初の目的であったため、最重要項目となったのだ。そして、話し合いの結果出た結論は先に上げた、三つの方法のどれにも当てはまらないものだった。それは、NGO団体の助けを借りながら、S.I.A単独で活動していく。という方法であった。調査の前に考えていた方法の二つ目である、たくさんの大学の学生が共同で運営している団体に所属し活動していく方法と、三つ目である、NGOに所属し活動していく方法は私たちが最重要項目にあげた、「自らの手での国際協力」をクリアしなかった。大きな団体に所属することで大きな成果をあげることは期待できる。しかし、企画、運営ではなく「駒」として動くことを余儀なくされるのだ。一つ目にあげたS.I.A単独で活動していく方法は、私たちにはまだ難しい。という結論にいたった。全員が一年生で、立ち上げて3ヶ月しか経っていない。この状態での単独活動は成果が期待できない。しかし成果を出したい。という二つの観点をまとめた結果、まずは他のNGO団体の助けを受けながら軌道に乗せてく事に決まった。JLMMというNGO団体に2004年度の鳳祭とスタディ−ツアーでの協力をお願いした。このようにしてS.I.Aの活動方針が決定した。

S.I.Aは鳳祭で「ラチャナショップ」を開店させ、カンボジアの工芸品を売った。「ラチャナ」とはクメール語で「芸術」という意味で、カンボジアで工芸品を作るプロジェクトグループの名前である。これにはJLMMも参加している。このラチャナは難民の再定住手続きを援助し、職業訓練と職業提供をするプロジェクトである。ベトナム軍によってポルポト政権から解放された後、たくさんのカンボジア人が内戦をのがれて、カンボジアとタイの国境付近にある難民キャンプに逃げ、暮らしていた。そして内戦が落ち着き、その難民が約16年ぶりにカンボジアに帰ってきた。しかし、彼らには職がなく、生計を立てることができない。そこで日本のNGO団体がこのプロジェクトを立ち上げたのだ。このプロジェクトに感銘を受けた私たちは一役買いたいと思い、鳳祭でラチャナの商品を売ることを決意した。そして結果は完売という大成功のうちに終わった。しかしこのゴールにたどり着く過程にはたくさんの難関があった。

メンバー全員が初めての鳳祭であったため、誰も鳳祭がどんなものかを知らなかったのだ。まず、私たちは国際協力フェスティバルを見学した。ここではJLMMが出店して、ラチャナを売っていたため、店の様子を見学し、営業方法を学んだ。店の小屋作りでも苦労した。他の団体は二時間ほどでできる簡単な小屋を、ベニヤ板などで作るということだった。しかし、私たちは今後S.I.Aを公認サークルにし、鳳祭での出店を続けていくことを念頭においていため、何年も使える頑丈な小屋を作った。知り合いの棟梁に頼み込み、小屋の骨組みをメンバーと共に一日がかりで製作した。そして、当日の組み立てる様子はビデオにおさめた。これは私たちの後輩に組み立て方を引き継いでいくためだ。価格設定では、アジアン雑貨の店が他にあるのか、客の考える相場はいくらなのか、を考慮しなければならなかった。アジアン雑貨は安いというイメージがあるが、ラチャナでは従業員に生活ができる程度の給料を出しているため、元値があまり安くないのだった。しかし、上乗せする利益分を少なくすると寄付ができなくなる。また、利益をたくさん出そうとすると高いと思われ、売れなくなる。そのあいだを取る苦しい価格設定だった。また、学園祭という特殊な状況で人気が出ると思われる商品を選ぶことにも苦労した。他にも、輸入、カンボジアの写真展示資料の広報活動、協賛依頼、これらすべてが始めてのことであったので骨が折れた。しかしこれらはすべて、一人では越えられなくても全員で一致団結すれば越えられるものだった。毎日メンバーでの会議がもたれた。一人一人の意見が完全に一致することはない。ああだ、こうだと頭を突き合わせて打開策を練り、妥協策を探した。時には会議が夜遅くまで続くこともあった。このような苦労があったからこそ終わったときの感動は想像をはるかに超えるものだった。この成功という報酬は全員で努力し、勝ち取ったものだ。

鳳祭で得た収入と募金は合計で12万円であった。私たちはそのお金をカンボジアに送金する。送金先は自分たちの目で見たいと思い、のS.I.Aカンボジアスタディーツアーで現地に行って自分たちの目で見て決める。私たちがこのお金がどこでどのようにして使われるのかを知っておくことは私たちの責任であると考えるからである。

鳳祭での収穫はたくさんあった。産声をあげたばかりだったS.I.Aが初めて形になるような支援活動が出来たこと、専修大学になかった国際協力サークルが、専修大学生をはじめ、鳳祭に来た人たちに国際協力という刺激をあたえられたことがある。商品購入者はもちろん、募金した人、店の中に展示してあったカンボジアの写真を見た人、店の前を通り過ぎた時に呼び込みの声を聞き、「国際協力」と頭の片隅に入った人。「私たちが活動することだけでなく周りの人にも国際協力を訴えることも重要だったのだ。」ということを、鳳祭を通じて、私たちは学んだ。また育友会ホームページのトップに私たちS.I.Aの写真が掲載されていることは私たちにとって大きな喜びであり、自信にもつながったのだった。

S.I.Aカンボジアスタディーツアーの日程は200527日から17日までの11日間である。私たちが行きたい所、見たいものを企画し、JLMMがスケジュールを組んだツアーである。それゆえ、他のスタディーツアーではないものも取り入れることが出来た。例えば、ラチャナ従業員の家にホームステイ、現地の大学生との交流会、孤児院に一泊、お粥配給プログラムへの参加などがある。最近ではこのツアーをよりよいものにするために、カンボジアの文化、地雷問題、ポルポト政権など、十項目について事前学習をした。また、自分たちでしおりを作り、クメール語も勉強した。ツアーが本当に楽しみである。

S.I.Aは、まだサークルができて一年に満たないということもあり、公認サークルではない。このため、サークルとして、教室を利用することは禁止されており、会議する場所の確保が難しい。また資金面での援助がないため、サークルメンバーから多くのお金を徴収しなければならない。また、ビラなどを貼ることも許されていないため公報活動も出来ない。そして、公の場所で発表することも禁止されている。この点においては、国際協力サークルという性格上、調査した結果、鳳祭、スタディーツアーの報告などを公の場で発表し、人々に現状を知ってもらったり、募金をつのったりすることは重要である。私は報告会を実施することが専修大学の学生のみならず、地域の人々、高校生など、国際協力に関心のある人々にとって有意義なものになると考えている。そして何より、私たちサークルメンバーにとって人に伝えることで知識の整理や企画、運営に面でも大変勉強になることである。これらの制約により活動は大幅に制限されているため、私たちはS.I.Aを公認サークルにすることを目標にしているのだ。

七ヶ月間活動してきて、特に難しかったことは、サークルメンバー全員のモチベーションを常に高めていることであった。鳳祭終了後など、目に見えて成果が上がったときは、メンバーのモチベーションを上げることに苦労はしないのだが、調査活動、勉強会などの単調な活動の時期になると、毎週の会議への出席状況が悪くなり、メンバーの意識低下がまじまじと伝わってくる。そして、辞める人も出てきてしまった。また、個人個人で、他にやりたいことがあったり、個人の目指すものと、S.I.Aの目指すものとの食い違いが出てきてしまったりして、サークルを離れるメンバーもいた。しかし私たちはそのたびに反省をし、メンバーのモチベーションを上げる方法や、今後のS.I.Aをどうしていくべきなのかを話し合った。そしてもうひとつの対策としては、メンバーの誕生日には必ず手作りのケーキや、プレゼントでパーティーを開くということだ。ほぼ毎月ある、メンバーの誕生日パーティーは大変楽しく、またこれが私たちの絆をよりいっそう強いものとする。

私にとってS.I.Aは大きな喜びであった。私は高校生の時、国連の職員になることだけが自分の目指す国際協力の道だと思い込んでいた。しかし違ったのだ。私は、専修大学に入ってこのS.I.Aから学んだ。私が遠い空の向こうで行われていると思っていた国際支援活動は今、自分たちの手でできるのだ。実際、私の専修大学入学は不本意なものだった。しかし、S.I.Aの立ち上げに関わることができたということだけをもっても、私の専修大学入学という選択は間違っていなかったと、今は確信している。そして何より、すばらしい友人達と出会えたことは、私にとって大きな財産であると同時に喜びでもある。専修大学で「国際協力活動を自分たちの手でしたい!」と集まったこの友人達は一生の宝物である。

私たちは「S.I.A」を「シア」と呼ぶ。シアは「幸せ」のシアだ。「世界中の人を幸せにしたい。」という大きな使命をもつ名前なのだ。

S.I.Aはまだ生まれたての雛である。嫌な事があるとすぐに泣いてしまう。しかし、今は生まれたてであるゆえに、色々なものに順応できる。やわらかい頭で、どんな鳥になろうかと大きな夢を抱くことができる。私たちはこの雛を立派な鳥にしたい。世界中の人を「幸せ」にする鳥に育てたい。そして私は、いつの日か私たちの手を離れ、世界中の大空を飛び回ることを夢見ている。


第5回育友会奨励賞努力賞受賞