1.JAY’s school
JAY’s schoolはシェムリアップにあるカンボジア人がつくったカンボジア人のためのフリースクール(授業料無料、勉強したい人なら子供から大人まで誰でも通える学校)。シェムリアップに住むchea lim jay(チア リム チェイ)さんが学校に通えない子供たちのための学校をつくりたいと自宅を開放し始めた学校だ。
夜の6:30〜7:30がチェイさんの教える英語クラス、7:30〜8:30が現役日本語ガイド・ソティさんが教える日本語クラスが毎週月曜日から金曜日まで開かれている。
来ている学生は約12歳から26歳くらいらしいが、英語クラスは、中学生から高校生くらいの若い子達、日本語クラスは、昼間は農家や日本語ガイドとして仕事をしている青年や大人が多いと感じた。
日本でJAY's schoolの仲介役をしている方に学校へ行くことを伝えてもらい、何か学校へ日本から持って行ってほしいものはあるか聞いたところ、現在日本語の授業では漢字に力を入れているため、国語辞書を持って行ったらとアドバイスしていただいたので、友達に呼びかけ2冊の国語辞書を持って行った。
私は5日間JAY's schoolへ行き、主に日本語クラスへ赴いた。
初日、おばあさんが亡くなったということでソティ先生が来ず、そうした先生が8時になっても来ない場合はボランティアに来た日本人が授業をする決まりになっていたため、先にJAY's schoolでボランティアをしていた友人たちと教科書を使い授業を行う。教科書の内容は、「〇〇しすぎる」という文法だった。
残りの4日間もソティ先生はお葬式などで来ることができなかったが、生徒は授業開始時間には必ず来ていた。2日目以降毎日夕方から雨が降っており、生徒は教科書を雨の時は濡れるため持ってこないらしく、「わからない単語を教える会」を開いた。
生徒は真面目で、今まで理解できなかった単語をノートに書きだしてあり、どんどん質問してきた。
※単語の例
・戦争と暴動の違い ・台風と強風の違い ・復興 ・任命する ・汚職 ・戦線 ・帝釈天 ・絡める
私たちが一般に使っている単語だが、きちんとした日本語の意味やニュアンスを教えることはとても難しく、電子
辞書やカンボジア語の指差し会話帳、日本語カンボジア語辞典、そして日本から持っていった国語辞典が役にたった。
感想
まず、生徒たちがとても人懐っこく、授業後に宿までバイクで送ってくれたり、パソコンのアドレスを交換し今でもメールをしている生徒もいること。ボランティアとして訪れた私たちを受け入れてくれたことがうれしかった。
また、カンボジアの人は、英語や日本語を学んでいる人が多かった。JAY's schoolの生徒もそうだが、孤児院の子供たちや、市場や道で会って話した若い人たちも、学校やこういったフリースクールに通い、どちらかの言語を学んでいた。やはりカンボジアはアンコールワットもあり観光客が多いため、観光客相手の仕事のために言語取得をしているのだろう。そして、私は、カンボジアの人たちの学ぼうとする強い姿勢に熱く心を打たれた。次々とカンボジアの若者が自分達で自国の将来を変えていこうと立ち上がり始めている。
2.クルサー・リッリエイ孤児院
クルサー・リッリエイ孤児院には現在45名の子供たちとお母さんと呼ばれるトーラエムさんが暮らしている。クルサー・リッリエイとはクメール語で『幸せな家族』を意味する。実際私が訪れた時も、子供たち全員へ愛情をそそぎ本当のお母さんであるようなトーラエムさんを中心に、子供たちはみな兄弟のようにお互い助け合って生活していた。
孤児院では、通常11時に訪れ、一緒にお昼ごはんを食べ、その後昼寝、15時頃に帰るということをしていた。ボランティアというよりは、主に子供たちと遊んでいた。
遊びの内容としては、ボール遊びやカンボジアの蹴鞠を使ったドッチボール、サンダルを使ったホッケー?やくすぐりあいなど。何でも遊びに変えてしまう子供たちが印象的だった。雨の日は、ビデオ(中国のアクションものが多い)やテレビを見て過ごした。テレビで、日本の人気ドラマ『花より男子』が放送されており、カンボジアでも知名度があり人気であることが興味深かった。
また、ボランティアの日本人から学んだのだろうか。日本の歌、スピッツの『チェリー』や『涙そうそう』を子供たちが知っており、一緒に歌えたことが楽しかった。
子供たちは、下は5歳くらい、上の年長組の子供たちは高校生くらいまでの年齢であった。年少組の子供たちは、学校にも通っている様子であった。また、年長組の子供たちの中では、日本語を勉強している子や、難しい数学や化学の勉強をしている子も見られ、教育もしっかりしていることがわかった。クルサー・リッリエイ孤児院の支援ホームページによると、教育里親制度などもあり、支援によって医者を目指し、医大に通う子供もいるようだ。
感想
クルサー・リッリエイ孤児院の子供たちは、みな力強く生きていた。私よりも大人だなぁと感じる場面もあった。
食事の用意、掃除、雨が降れば地面を土でかためたり、小さな子供たちが協力しあって生活をしている様子に心打
たれた。
しかし、強い部分もありながらも、やはり子供であり、甘えてくる子供たち。私は、何を子供たちに与えることができたか悩んだが、愛情をいっぱい与えてきたことがせめてでも私にできたことだと考える。
カンボジアの子供たちは、本来の子供のあるべき姿だと思った。
3.旅のまとめ
私はこの大学4年間、海外に旅をし、色々なボランティアを行ってきた。大学では、主に発展途上国の貧困や開発問題を学んできたため、事実を知り、学生の自分にできることは何かを常に考えてきたからだ。今回のカンボジアでの旅が、卒業前最後の機会だと思う。私はこれから社会人となっていき、国際協力とは違う仕事に就くが、それでも今度は社会人の私にできることがあると感じている。そして、そこから何かを学び、自分自身もまた成長していきたい。