2004年度夏合宿:グループ討論 SAP反対派レジュメ

       〜SAP(構造調整計画):反対派〜


                         
メンバー
  4年:
加藤洋樹石田洋子・小西美穂
  3年:
大森千鶴山中文章・佐野将史
  2年:吉松香織藤巻伸悟石井沙織・青木梨奈
          
          


構造調整計画(SAP)

・ 途上国に緊縮財政とリストラを要求するIMFの「構造調整政策」が、いかに途上国の自己決定権(主権)に干渉し、人々
のくらしや環境を脅かしているか。それは、1992年リオデジャネイロでの「地球サミット」、95年コペンハーゲンでの「国連
社会開発サミット」など、一連の国際会議でも問題になった。 

・今やIMFやWBは、貧困をなくすための中立的な国際機関ではなく、むしろ、途上国の貧困を作り出す原因にさえなっ
ている、といわれる。

・それは、70年代半ば、オイルショックから始まった。当時産油国は、原油価格を4倍に引き上げた。そして、得られた収入
を先進国の民間銀行に預金した。多額の預金を得て、資金がだぶついた銀行は、途上国の「開発」に投資することにし
た。バブル期の日本のように、「開発資金」は、楽観的な雰囲気の中で、気前よく貸し付けられていった。そして途上国政
府は、無責任にも、明らかに返済不能な額までを借りていった。この大盤振る舞いは、81年のレーガン米大統領の就任
で一変する。レーガン政権は、インフレを抑えるため、高金利政策を始めた。それが、世界的な利率引き上げを呼んだ。変
動金利制度をとっていた途上国は、返済金利が急激に膨張して、さらなる「債務の罠」にはまった。 81年にはメキシコが
債務返済不能に陥った。これに端を発した経済危機は世界中に波及した。ここで「お助けマン」を自認するIMFが、「一時
的に助けてやる」条件として、厳しい緊縮財政とリストラを途上国に要求した。それがSAPの始まりである。SAPは、政
府の役割を最小限に抑え、経済を「自由」に任せようという政策だ。財政支出を抑えるため、保健医療と初等教育の予算
が削られる。国営企業は民営化され、通貨を切り下げ、関税も引き下げられる……。死にかかった経済を立て直すための
「自由主義経済原理」に基づく大手術、と説明された。多くの途上国が、自国通貨を、世界通貨であるドルに対して切り下
げた。例えば1ドル百円を1ドル200円に設定し直せば、1000円の商品は10ドルだったものを5ドルにして世界市場に出す
ことができる。安く設定した自国製品(食料や工業用原料)を輸出にまわして外貨を稼げ、とのIMFの処方箋だった。うま
くいけばよかったのだが・・・途上国からの輸出品は、どこでも似たようなものが多い。同じようなものが世界市場に、しか
も一度に出回れば、当然値崩れが起きる。値が下がっても、輸出総量を無理にでも増やして、「借金返済」のための外貨
を得ようとした。まさに、悪循環だ。

・資源の投売りは、熱帯雨林を消失させ、スラムを拡大し、飢える人々を増加させた。貧しい人々の主食であるトウモロコ
シが家畜の飼料用として輸出にまわされ、「飢餓輸出」とさえ言われた。こうして、自然を破壊し、途上国の天然資源を急
速に枯渇させてまで強行された輸出によって、先進国の銀行は救われたのだった。

・このように、目的が先進国の利益を増大し、それらの国が支配する国際政治経済の構造に途上国を従属させるという戦
略的な問題にあったとすれば、構造調整プログラムは大成功だったのではないだろうか。


SAP(IMF・WB)の問題点

・構造調整プログラムの最大の欠点は、各債務国の地理的・社会的・歴史的特徴を考慮せずに行われていることであ
る。
債務国に融資をすることは間違ったことではなく、また、先進国として返済計画を立てること自体に問題があるのでは
なく、返済計画(構造調整プログラム)を強制的に押し付け、失敗を認めず、また、どの国に対しても変わらない融資条件を
突きつけていることが問題なのである。

・また、構造調整プログラムには、民営化などによる政府支出削減に対しては積極的な政策を提示したにも関わらず、軍
需費削減については求めたことがほとんどない。これは、政府や北の国々に巨大な軍需産業にとって大きな経済利益を
もたらすためである。

このように、いくつかのSAPには、先進国に多くの利益を与えるような政策が数多く見られる。

・民営化(カメルーン) 
 債務国政府の無駄な支出を減らすために行われた民営化は、確かに人件費削減などで大きな効果をあげたが、それ
に伴う雇用喪失は大きな問題である。

 長年にわたり国営企業は最大の雇用先でもあり、国営セクターの再編成により、雇用体制の見直しを余儀なくされた。
世銀の説明によれば民営化により失業に追い込まれた労働者は、民営化のもたらす経済活性化により新たな活路を見
出すはずになっていたが、現在民間セクターが必要としているのは知的労働者(富裕層)であり、大多数の単純労働者
(貧困層)の再就職は厳しい状況に追い込まれた。

・通貨切り下げ(ルワンダ)
 1990年11月、ルワンダ・フランが50%切り下げられる措置が取られた。通貨を切り下げたのは、コーヒー輸出を促進
するためであった。また、言論機関は、通貨の切り下げは戦争により破壊された経済を回復させる手段である、と世論を
醸成した。しかし、それと正反対の結果が出て、内戦の惨状がさらに悪化した。相対的に物価安定が持続したものの、ル
ワンダ・フランが暴落するや、インフレーションを誘発し実質所得が急減した。


<疑問>

・ 世界最大の債務国アメリカがどうして、SAPを強要させられてきた債務国とは扱いが違うのか?
・ IMFの貧困削減基本原則に記されている「貧困層に有利に働く結果に焦点をあわせること」という部分が、見られない
 理由は?


SAPの失敗例

ルワンダ
 1998年11月、世銀の代表団がルワンダの公共支出計画を検討するためルワンダに派遣され、ルワンダ政府に二つ
の政策シナリオを提示した。最初のシナリオは、古い国家計画体制を維持する際、発生し得る状況を予見した政策であ
り、第二のシナリオは、「戦略の変化」というタイトルがついていたが、マクロ経済的改革と「自由市場体制の転換」を想定
した政策計画書であった。ルワンダ政府は、「政策の変化」を選択した。ルワンダ政府には、他に選択する道がなかった。
1990年11月、ルワンダ・フランが50%切り下げられる措置が取られた。通貨切り下げ措置が行われてから数日後、石
油と生活必需品価格を大幅に引き上げる、という措置が発表された。そうすると、消費者物価上昇指標は、1989年の1
%から1991年の19.2%へと高まり、貿易収支は極度の不均衡状態になり、1990年当時の未返済債務は、1985
年の二倍になった。政府の行政機構は混乱に陥り、国営企業は倒産し、公共サービスは崩壊した。IMFが最優先に強調
した緊縮政策によって、医療と教育サービス部門が解体された。IMFの構造調整プログラムが始まった翌日、公共の保
健所で抗マラリア医療品が不足し、マラリア発生率が21%増加したのが記録されている。そして初等学校教育に授業
料納付を義務づけると、児童就学率が急激に減った。                                           1992年6月、IMFは再び通貨を切り下げるように要求した。この措置は、内戦がピークを迎えるや、燃料と生活必需
品の価格上昇をさらに煽ることになった。また、1年の間にコーヒー生産量が25%も減少した。しかしコーヒーの木をあま
りにも多く植え、土地が徐々に不足していったにもかかわらず、農民は容易に食糧作物の耕作へと転換できなかった。耕
作費用も値上がりし、コーヒー経済は、サトウキビや、大豆などの伝統的な食糧生産にまで打撃を与えた。小農の与信を
担当していた信用協同組合体制も崩れた。また、貿易自由化と穀物市場の自由化措置によって、富裕国から安い食料品
と援助食糧までが押し寄せ、ルワンダの国内市場を不安定にした。


ソマリア
 1970年代まで、ソマリアは食糧を自給自足する国であった。しかし、1980年代初頭のIMFと世銀の介入によって、ソマリ
ア飢餓が発生した。

 SAPにより、家畜保健サービスが民営化された事で、家畜数が減少し、遊牧牧畜業者に影響を与えた。遊牧民と交易
関係を持っていた穀物生産者にも影響を与え、牧畜経済の構造が崩壊した。さらには、穀物市場の脱規制化と食糧援助
の流入により、食糧農業構造が破壊された。また、肉類輸出が減少し、国際収支と国家の公共財政にまで影響が及び、
政府の経済・社会政策まで崩壊するに至った。

 しかし、飢餓の公式的な原因は、旱魃と砂漠化、そして内戦とされている                                                          
インドネシア
 石油に代わる輸出産業の育成目的の為替レートの大幅切り下げ。→金融自由化→貿易自 由化。この一連の流れが構
造調整政策である。しかし、結果、数多くの重要産業で輸入保
護が残り、また、貿易の自由化は不十分なままであっ
た。具体的には、金融自由化によ
り、インドネシアの債務が、公的債務から90年代に入り民間債務が急増してしまったこ
があげられる。

ペルー
 社会保障予算削減→公共保険制度の崩壊→コレラの蔓延(20万人を越える感染者)
 全人口の83%が最低カロリーとタンパク質の必要量を摂取できていない。
 貿易自由化→農業生産への打撃→輸出用換金作物としてコカの栽培が行われる
  IMFの経済改革は麻薬密売を活性化させ、たばこやトウモロコシの栽培を不可能にした。

ニカラグア
 一人当たりのGDPはラテンアメリカ諸国の平均値の3分の1 国民の78.7%が貧困層
 富の不平等な分配及び基本的サービス利用における格差が低成長を持続させ、貧困を悪化させた。
〔1980年代初頭〕                                           
 ラテンアメリカにおける債務危機→構造調整計画導入のきっかけ。つまり、もともと債務救済の融資条件として提示され
たもので、債務国側は構造調整の受諾か、債務危機の深刻化か、という二者択一で迫られる。←この時点ですでに債務
国には決定権がない。

〔1994年6月〕                                              
 構造調整融資が開始→国営電話会社の民営化や税制改革、国立銀行の不良債権処理といったコンディショナリティが
履行できず、IMFからの融資を中断

〔1995年1月1日〕                                             
 ラテンアメリカ諸国が動く→関税同盟として、南米南部共同市場(メルコスル)を発足。また同時期に南米北部のアンデ
ス共同体も発足された。これらが掲げる政策はSAPと似ている。→SAPが開始されてまもなくラテンアメリカ諸国は自分た
ちで独自の政策を打ち出した。SAPがうまく機能しなかったからではないか。

〔2001年後半〕                                              
 財政赤字の削減、通信・電気民営化、統治能力の改善などの点で遅れる。

〔マナグアの例〕                                            
 ニカラグァ国内にあるマナグアというところでは貧困層の大幅な減少がみられる。                          ⇔しかし、対照的に太平洋沿岸部の都市及び大西洋沿岸部の都市と農村(極貧層)において貧困が著しく増加 
  原因⇒経済安定化、構造調整政策のコストと便益が地域的に不平等に配分されたため。
…これらのことからSAPはラテンアメリカに良い影響を及ぼしたとは考えにくい。したがってSAPは失敗しているといえるの
 ではないか。
                                    
                                                            (文責:佐野将史)