カンボジア旅行―アンコールワットを見に行きたい!!
  感動の体験!!!


W14 松平 香寿紀
W14  田辺 美佳
W14 小池 あゆ子


★期間:2004年3月27日〜4月2日
★旅行会社株式会社 H.I.S
★旅費:3日間のツアー代(航空券・ホテル・ツアー中の食事代込み)+二泊延泊代
      =89,800円

      成田空港旅客サービス代 2,040円
      ビザ代 (日本にて取得) 2,700円
      その他 約Us$300  合計約13万円
★宿泊先NEAK PEAN HOTEL
★トクトクドライバーDARAさん ong_dara@yahoo.co.uk

★3月27日

  ・19時 成田~シンガポール(シンガポール航空)

★3月28日

  ・1時35分 シンガポール着。荷物を枕にロビーで爆睡。
  ・8時45分 シンガポール〜シェムリアップ(シルクエア)
  ・8時55分 シェムリアップ着。移動。
      昼食(ココナッツジュースを頼んだら、まるまる一個ヤシの実が出できた)・昼寝
      (現地の習慣)

      夕食までアンコール遺跡観光(アンコールワット、プノン・バケン)
  ・19時  アプサラダンスを鑑賞しながら夕食。

★3月29日

   ・4時  起床
   ・5時  アンコールワットサンライズ 鑑賞。
   ・7時  朝食。その後アンコール遺跡観光(プレ・ループ、バンテアイ・スレイ、
        ニャック・ポアン、)

   ・昼食・昼寝(プリア・カン、パブ・オン、象のテラス、タ・プロ−ム)
      オールドマーケット 地雷の被害者に1jと迫られる。現実を知り、戸惑う。
   ・19時  夕食


★3月30日 自由行動 ガイドさんの紹介でDARAさんと出会う

   ・10時  アンコール遺跡観光。ゆっくり写真を撮る。
       地雷博物館:署名ノートに専大国際経済の友人の名前を発見。そこらじゅう
        に火薬が抜いてある
処理済の地雷が散らばっている。処理済と分かってい
        ながら、うっかり地雷を踏ん
では毎回硬直・・・。 
       戦争博物館:実際に使用されていた戦車などを目のあたりにして、恐怖感さえ
        感じた。

       キリングフィールド:1993年に学校とお寺になったそう。若いお僧さんに囲まれ
        きちんと見学できな
かった。しかし、日本語を勉強している彼らと触れ合う事が
        できた。 

   ・18時  シェムリアップ最上級ホテルで久しぶりの洋食(自分達にご褒美)
      US$11でセットメニュー。香水の話がきっかけに従業員のSophaさんと仲良くなり、
      翌日同じ香水を
私達に買ってきてくれることになる。
   ・22時  マッサージへ!Chaiというマッサージ店、本店は六本木。日本人がマッ
      サージと日本語を教えて
いるそうです。全ての疲れがとれて、この日はいつも
      以上に熟睡。


★3月31日 自由行動 今日もDARAさんと一緒

   ・11時  Sophaさんに教えてもらったマーケットへ
      観光客は私達と他2組だけ。地元密着型マーケット。英語を話せる人がいな
      かった。現地の小学校
の授業の時間なのにかかわらず、子供達がマーケット
      の中を歩き回っている。学校は無料と聞いた
が、みんながみんな学校に行け
      るわけではないらしい。

   ・15時  Sophaさんに電話して待ち合わせ。

     最後のオールドマーケット:値切る事に完璧に慣れる。3日連続で買い物に
       行ったので仲良い店員
さんもできていた。値切ろうと私達が提示した金額が
       安すぎてキャーと
叫ばれたので一緒に叫んで一緒に笑った。その後日本人
       が経営してる
カフェへ。名物?!かぼちゃプリンで休憩。夕食は、フランス人
       のおじい
さんが経営のパスタのお店。
   ・20時  最終日なのでホテル到着と同時にDARAさんとお別れ。いつもにこにこし
       ながら私達の行きたい
ところにでこぼこ道を避けながら運転して連れて行っ
       てくれたDARAさんにとても感謝している。


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★4月1日

   ・10時  シェムリアップ~プノンペン~シンガポール
   ・15時25分  シンガポール着  ガマンできなくなり免税店で買い物☆
   ・23時40分  シンガポール~成田

★4月2日

   ・7時30分 成田着 無事帰国。そのまま学校へ!!

<感想>

 これが初めてのアジア旅行です。カンボジアには先輩の影響で行こうと思いました。それ
と、もう一つ、今は
亡き祖父の影響です。マンゴーが大好きだった私の祖父は、世界大戦
中カンボジアで暗号兵をしていたそう
です。生前「平和になったカンボジアに行ってみたい
な」と言いながら世界地図を見ていた祖父を今でもよく覚
えています。今回の旅は、自分
自身の視野を広げる事と祖父の代わりに平和になったカンボジアを見に行く事
が目的でした。
 カンボジアは、今まで私が持っていたアジアのイメージとは、違っていました。危険、危険と
言われいてとて
も怖がっていましたが、出会った人たちはみんな純粋で無邪気、のんびり、
そんな印象でした。日本語を勉強
している若者も多く、英語も話せるので、凄いなと単純
にそう思った。そして、内戦で人口の半分が若者である
というのもあるが、若者のパワー
を感じた。これからの国だなと思った。

. 最近では、まだ地雷の処理が完全に終ってない場所でどのあたりに地雷があるのか分
かっていない若い
世代のドライバーが観光客を危ない区域に連れて行ってしまうといった
ことが多くなり、再び地雷の被害がで
るのではと言われているそうだ。遺跡では、今まで
話にだけ聞いていたものに実際に触れ、写真も撮り感動的
な経験をした。同時に日本や
フランスが遺跡復元の支援をしている事も知ることができた。バスに乗っていても
何度か
ガイドさんに「あれは日本が作った学校だよ」と教えてもらった。日本の海外での姿を見
る事ができ嬉し
かった松平香寿紀

 念願のカンボジア旅行を終えて一番に思うことは、カンボジアの人は本当にあったか
かった、ということ。
りえ さんに少し似ていたソーファさんとの出会いと、もらった香水は、
私の一生の宝物になった。また、キリング
フィールドにいた私たちと同年代のおちゃめ
な僧侶達との出会いも忘れられない。僧侶は高貴な人だからなれ
なれしくしてはいけな
い、と聞いていたが、実際ここの僧侶達はそのような様子は全くなく、1時間でいいから

日本語を教えて、とても無邪気で、たくさんの仏像のまえで、僧侶ではなくてガイドにな
りたい、とサラっといっ
てしまうほどであった。僧侶も私達と同じなんだなと、とても身近な
存在になった気がしてうれかった。

 それと同時に、この場所で大虐殺があったということを考えながら彼らを見ると、20歳
以下が人口の約半分を
しめるこの国では、悲惨だが語り継がれていくべき出来事でも、
ひょっとしたらどんどん風化していってしまう気
がして複雑な思いだった。またソーファさん
や僧侶たちにあいにいきたいと思う
田辺美佳)。                                           

 今回のカンボジア旅行ではアジアに対する考え方が変わった。アジアといえば貧しくて
不幸というイメージが
強かったけど、現実には貧しくても彼らのやり方、秩序の中でたく
ましく生きているんだなぁと思った。人々は
穏やかで明るかったし、将来どんな美人にな
るんだろうと思うほどかわいい子供がいっぱいいた。

 しかし一方で、教育について考えさせられた。内戦によって人口の半分以上が子供だ
というカンボジアで
は、各国の支援によって建物としての"学校"はあっても、教壇に立
つ教師が足りないらしい。そして、10年
後、子供たちが大人になった時に、果たして働く
場所があるのだろうかと、不安になった。

 そして、日本についても考えさせられた。カンボジアの人々が必死に日本語を勉強して
いること、アンコール
ワットの修復に日本が参加していること、シェムリアップの国道を日
本が整備していること。日本はあたしが
思っている以上に色々なことをしているし、色々
なことができる国なんだと思った。それはやっぱり、あたしたち
が、日本という国が、多く
の選択肢を持っているからこそできることなんだろう。あたしたちはカンボジアを含
め、
発展途上の国に"援助する自由"さえ持っているんだな…。と、初めてアジアの途上国
で生活してみて実
感することができた小池あゆ子)。