海外留学 〜中国が知りたくて〜
W12 本多 健一  


★期 間:2002年2月28日から2003年1月27日(11ヶ月間)
★留学先:中国・北京 対外経済貿易大学 
★動 機:@自分のスキルとして中国語を身につけたかったため
      A中国の社会や経済を、実際自分の目で見たかったため
★総費用:およそ130万円 
★内訳→学費:約30万円
      生活費:5〜6万円/月
      国内旅行費:約20万円
      その他(留学準備費、往復チケット代など):約15万円


<首都・北京について>

・人口:1251万人
・面積:1万6800平方キロメートル、12区、6県からなる中央直轄市であり、日本の四国に相当する。
     ※行政→市>区>県>村
・特長:・市街には坂が1つもない。斜めや湾曲した道もほとんどない。
     ・年中乾燥しており、気温の変化が激しい。(最高気温39℃〜最低気温−15℃)
     ・元から明朝の崩壊まで、約700年にわたり首都として栄えた。

<留学生活の始まり>

中国に来た当初は、非常に困った。おそらく人生の中で一番困っていたにちがいない。まず、どこで買い物してよいのか、どこで食事してよいのか全く分からなかった。しかも、中国人に聞いても、語学力がないため、サッパリ分からなかった。おまけに、一人で留学しに来たため、知人・友人はいない。来中して2日間、私は外にも出ず、留学生寮で孤独な生活をしていた。
しかし、これではいけないと思い、とにかく友達をつくるために、校内の日本人会に参加した。そこで意外と日本人が多いことに驚いた。寮内では、ほとんど韓国語しか聞こえなかったため、「ここは韓国なのか?」と思うことがよくあった。
来中3日目、同居人がやってきた。彼の名は周 文傑。台湾の大学院生で、中国本土の企業や経済状況のリサーチを目的に来中。彼とのコミュニケーションは、英語と中国語が半々の割合。英語も中国語もろくに話せなかった私に、彼は親切に対処してくれた。また、私が困っている時には、いつも全力で助けてくれた。彼の人の良さに私はとても感動した。
彼との共同生活は、たった3ヶ月あまりであったが、そこから得たものは非常に大きかった。この期間で私は語学力が向上だけでなく、他者理解の大切さや台中問題の現状などを知る良いキッカケになった。


<授業>

授業は前期と後期の2部構成。前期(3月〜7月初)は、初中級クラスからスタート。主に日常会話や中国の風習を題材とする授業内容でした。そして、そのクラスメイトは、韓国6人、日本2人、独2人、タイ2人、米、露、インドネシア、イエメン、モンゴル、マダガスカルが各1人から成る、計18人。授業では中国人の先生が、中国語で、中国語を教える形式。最初は授業にほとんど追いつけず、先生からの簡単な質問にもろくに答えられなかった。
クラスの雰囲気は、自由奔放。10カ国から人が集まると、収集がつかないようである。しかし、当初はまとまりがなく、仲も希薄だったが、終盤に近づくにつれて、その仲は深まっていった。クラスでの飲み会、授業中のゲリラ的な誕生日会、クラス対抗の合唱コンクールなどは良い思い出である。

時間割
8:00〜9:30 精読 口語 - 口語 口語
9:50〜11:25 閲読 ヒアリング 精読 閲読 精読
13:00〜15:05 - 中国経済(日本語) ヒアリング - -

そして後期(9月〜1月初)では、高級クラスに移った。このクラスでは、最近の新聞やニュースを題材としたビジネス中国語が主な授業内容で、やはりここでも授業理解には相当苦労した。特に宿題が多く、それに追われる毎日であった。クラスメイトは韓国16人、日本3人で、仏、カナダ、インドネシアが各1人ずつの、計22人の構成。
クラスの雰囲気は明るく、力強いといった感じである。クラス22人中、男子はわずか3人(日本2人、インドネシア1人)で、あとはみんな女子。みな個性的で、笑いの耐えないクラスであった。毎週末、クラスの大半が集まり、飲み会などのイベントが開かれた。そこで韓国女性の食べっぷり、飲みっぷりに驚愕したことは決して忘れられない。

時間割
8:00〜9:30 ビジネス文書 精読 新聞読解 - -
9:50〜11:25 新聞読解 ヒアリング 中国文化 ヒアリング ヒアリング
13:00〜15:05 - - - 精読 精読

前期、後期ともに、勉強は、予習と復習で精一杯だった。単語調べ、文章の翻訳、そして宿題に相当時間をとられた。これでは口語やヒアリングが全く伸びないと感じ、友達のコネで中国人との交流を図りました。そこで日本語学科の3年生と、日本に興味がある法律学科の3年生を紹介してもらいました。この二人と午後の空いてる時間を利用して、お互いの言語を教えあう「相互学習」を始め、そこから、口語やヒアリングの訓練だけでなく、中国の社会や風習、中国人の思想について学ぶことができた。

<中国とは?>

この1年間で中国を精一杯満喫した。そこで私は、「コネ」・「メンツ」・「縁起」を重視する中国社会を実感した。人が人脈で動き、メンツを生きがいとして、常に「福」を追い求める中国の社会を垣間見ることが多かった。また、中国人の強い個人主義に戸惑いながらも、自分も負けないように努力した。自分の意見をしっかり持ち、相手にそれをストレートの伝えなければ、相手は分かってくれない。日本でのような曖昧な言い回しは、ここでは通用しないことを痛感した。
そして、中国の国内各地を旅したことで、その地域性の強さを感じた。中国を南北で見ると、国民性や文化・風習が大きく異なる。国民性を見ると、南の特長としては、お金にシビアで、商売上手、建て前と本音に差がある。一方、北は単純で、細かいことは気にせず、思ったことは口に出すタイプの人間が多い。これは、あくまで自分なりの統計なので、参考にしてほしいと思う。


また、文化・風習を見てみると、北は王朝の力が強く及んでいたせいか、男尊女卑の傾向にあり、家庭では亭主関白が多く見られる。また、何でもスケールが大きい。建造物や道路をはじめ、食事はいつも大勢で大皿を囲んで楽しむといった感じである。一方、南では男も普通に家事をする。北と比べて、男女平等の傾向が強いらしい。また、位置的に東南アジアとの文化交流が見られ、使われている言語も標準語(北京語)とは大きく異なる。例えて言うならば、英語とドイツ語くらいの差はある。しかし、文字にすると、意味は通じる。とても不思議な感じである。
さらに、東西では大きな経済格差が生まれている。1978年、広州省・深センで経済開放政策が始まり、ケ小平の『先富論』によって、東の沿岸部が急速な経済発展してきた。それとは逆に西部は経済の低迷が目立っている。そして今日では、中央政府は経済政策の大きな柱として、西部大開発が唱えている。また、大都市(北京・上海など)での貧富の格差は非常に深刻である。月の家賃、数千ドルのマンションに住み、高級外車を乗り回す実業家から、1日数ドルの生活を強いられる農村から出稼ぎ労働者といった具合である。実際、都市部に来たからといって、仕事はなく、放浪するほかない人たちが大多数である。都市のスラム化を防止することが、今後の大きな課題であると思う。
その他にも課題は山積である。一人っ子政策による少子・高齢化社会、金融市場の不整備、弱い国内産業、農業改革、政治の腐敗など、数えれば限がない。今、中国は高い経済成長を遂げているが、少し無理をしてるのではないか思う。これも今後は維持できるかどうか疑問である。2008年の北京五輪、2010年の上海万博が大きなポイントになるが、上記の諸問題を解決なしには中国の将来は危ういと感じる。

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