第2回渡航報告〜フィリピン・ワークキャンプ編〜


W11 三上 浩司

                                                
●日程2001年8月14日〜9月1日
登場人物三上浩司と愉快な日本人キャンパー20人・フィリピン人キャンパー6人・施設の子供2人・
          CFFのスタッフ数名・フィリピン人ワーカー6人・現地の人数10人、などなど

●目的
 フィリピンの親に恵まれていない子供たちのために、施設を作るためのワーク。加えて、国際交流、
平和狂句、自己開発、組織教育のキャンプ。


●住まい
 施設内に住む。その施設というのが、最初は普通の山だったところに道路を作り、家を建て、水道を
引き、電気を引き・・・というように、すべて手作りの施設。ここでは、ある程度不自由なく暮らせた。ある
意味で期待はずれで、そういう意味では恵まれていなかった気がする。ホームスティは1日だけ。フィリ
ピン人と一つ屋根の下で寝た。彼らは寝るのが早い!。


●ワーク
 @石運び:みんなで1列になって、石をどんどん上に渡し、運んでいく。単純作業でした。
 Aペンキ塗り:2つ建物があるが、2つ目にできた建物の壁を塗った。
 B土ならし:ステージを作る作るため、普通に傾斜のあるところで草を刈り、スコップで地面を平ら
         にする。この作業が一
番辛かったが、一番ワークをしている気になった作業。フィリピ
         ンの蟻は、チッチャイけど強いです。

 C植林:最後の日の記念という感じで植林。今度行った時が楽しみです。


●学んだこと
 @戦争:戦争跡地に行ったり、戦争体験者から話しを聞いたりした。フィリピン人だけに、日本バッシ
ングが厳しいと思っ
ていたが、言葉を選びながら話してくれた。ある意味では、期待はずれ。日本がした
事の残酷など、本からではなく、
自分の五感で痛感!。戦後処理は、やはりしっかりやるべき。また、
このことは、何があっても忘れてはならない。

 A宗教:日本にいる時には、宗教に対して良いイメージというものがなかった。また、宗教を信じてい
る人は弱い人だなん
ていう偏見も多少持っていた。しかし、ミサに行き、老若男女、どんな人でも教会に
足を運び、みんなで歌を唄い、
みんなでお祈りをする。自分の居場所というか、アイデンティティがそこに
あるというか・・・。とにかく、フィリピン人は
歌がうまい!。
 Bセミナーでやったこと:セミナーというのは、夜8時から始まるお遊び会のようなもの。最初はゲー
ムなどをして遊ぶ
のだが、いつのまにか、真剣な議題に入っている不思議な会。その議題というのは、
例えば「コミュニケーション」「自
分の家族内や社会での役割」「大事なものベスト5」「10年後の自分」
など。


●ビビッタこと
@鶏殺し:初めて、目の前で動物を殺して、食べ物にするという現場に遭遇。複雑です。かなり、いろ
いろ考えました。
 
 Aペソ事件:現地の女の子と結構仲良く遊んでいたのだが、高校見学に行って帰りを約1時間かけ
て歩いている途中、
その笑顔とは裏腹に「1ペソ、1ペソ・・・」と言ってきたこと。自分の耳を思わず
疑った。 

 B笑顔:可愛すぎる笑顔でした。そのため、カメラのシャッターをきるのを忘れたくらい!!。ただ
思うのが、スラムの子供
たちを撮った時も、かなりの笑顔だった。その日の食べ物もろくにない中、
自分たちに人をビビラせるくらいの笑顔を
出せるどろうか??。
  
●嬉しかったこと!!!
 なんと言っても、フィリピン人とコミュニケーションがとれて、友達になれたこと。

感想
 今回のワークキャンプでは、何をどう間違えたのか、4グループある中の1つのグループのリーダーに
指名され(グループの中には、もちろんフィリピン人もいる)、人をまとめることなどの大変さを知った。
しかし、異国の地でそのような事が出来たことは、後々考えると「やってよかった」と本当に思う。それ
だけに、このワークキャンプでの経験が単なる想い出にならないように、向こうで感じたこと、思った
こと、話し合ったことを、日本で行動に移していきたいと思うッ!!!。