南北問題の今日的課題


    
      
南北問題の今日的課題―「思想の貧困」からの脱却を―

            (『最近の世界の動き XVI』山川出版社、2006年4月、より)

                                 室井 義雄

  
       以前には、東西間の緊張という問題が支配的であった。しかし今日では、

        われわれはそれと同じように重要な「南北問題」に直面している。・・・
        (中略)仮に、西欧世界が「東西」の次元と同じく「南北」の次元において
        も成功すべきであるならば、われわれの経済力をその課題に向けて充分に強
     することが必要不可欠である。      (オリヴァー・フランクス)


 1.はじめに

 「南北問題」(North-South Problem)という用語は、1959年末、英国のロイド銀行会長のO・フランクス卿が米国で行なった時事講演「新たな国際的均衡西側世界に対する挑戦―」において、初めて使用された。当初、この用語はジャーナリズム界を賑わし、その後、徐々に学問的概念として洗練されて今日に至っている。このフランクス卿の講演以後、すでに半世紀が過ぎ去ろうとしているが、彼が懸念した南北間の経済的均衡という、もう一つの国際的均衡の回復は実現しているのであろうか。地球全体を見回してみるならば、その答えは、明らかに否であろう。とりわけ、アフリカ諸国や南アジア諸国における絶対的貧困は、むしろ深刻さを増している。
 換言すれば、「グローバリゼーション」(経済的・政治的・社会的な諸関係の地球大化)が進展する中で、「ポーラリゼーション」(両極化)もまた進展しているのである。貧困問題は、今日の世界が直面しているもっとも重要な課題の一つであるが、何ゆえいっこうに解決しないのであろうか。初心に立ち戻って、いくつかの用語・概念の再検討から始めて、問題の所在を探ってみたい。

 2.概念規定の再検討

 日本語の「開発」も「発展」も、英語では一つの単語「development」に由来している。「develop」は、「envelop」(封筒、包む)の反対語であり、本来、「開封する」という意味をもっている。ところが、日本語でいう二つの言葉の意味合いは、かなり様相を異にしている。他動詞として使用される「開発」は、例えば「荒野を開発する」というように、必ず目的語を伴っている。すなわち、政策担当者による上からの行為、というニュアンスをそれ自体にもっているのである。この含意の色濃い「開発」政策は、フランクス卿の講演に先立つ1949年1月に、米国大統領H・S・トルーマンによって提唱されている。彼は、「われわれは、科学の進歩と産業発展の恩恵を低開発地域の改善と成長のために役立てうるような、大胆で新しい計画に乗り出さねばならない」と述べ、「開発の時代」の幕開けを宣言した。

 第二次世界大戦後、国際社会は、この「開発」に膨大な費用と時間を費やしてきた。196112月の国連総会において、J・F・ケネディ米国大統領の提唱を受ける形で「国連開発の10年」が採択され、その後2000年に至るまで、第4次にわたる開発計画が策定されてきた。1960年代〜80年代までの開発目標は、おもに発展途上国の経済成長を高めることに置かれてきたが、90年代以降には、国内的格差の解消が重視されるようになっている。開発経済学の領域でいえば、マクロ的開発の恩恵が貧困層にまで滴り落ちるとした「トリクル・ダウン理論」の明らかな敗北である。

 そうとはいえ、貧困問題に携わる政策担当者は、いまなお、他動詞としての「開発」という思想から充分に抜け切れていない。国際機関や各国政府が提唱する「住民参加型の開発」という表現もまた、この限りにおいて、いわば形容矛盾である。すなわち、他者としての住民が開発に「参加」するのではなく、住民が主体的に「企画・立案」して自ら発展するという、日本語でいう自動詞の世界が必要なのである。1960年代半ばに、米国ノースウェスタン大学のアフリカ研究者の間で「Growth without Development」(発展なき成長)というテーマの研究会がもたれたが、「開発」と「発展」の意味合いのもつ決定的な相違に、あるいは、量的拡大を最優先させる「成長」という概念のもつ限界に、われわれはもっと敏感でなければならない。

 加えて、ラテンアメリカ研究者で新従属学派のA・G・フランクは、1966年に「Development of Underdevelopment」というタイトルの論文を発表している。この「underdevelopment」という用語は、『The Shorter Oxford English Dictionary』第3版(1973年)の補遺に初めて採録されたが、そこでは、接頭辞の「under」は「insufficiency」(不十分)または「defect」(欠陥・障害)を意味すると説明されている。この限りでは、「underdevelopment」には量的および質的な意味合いがあるといえるが、フランクが主張しているのは明らかに後者の側面である。したがって、同上論文のタイトルを邦訳すれば、「欠陥をもつ発展の開発」ということになろう。「開発」は必ずしも正常な「発展」をもたらさないということを論じた点において、フランクの思想はいまなお有益である。

 他方、「援助」という用語もまた、「北の諸国による南の諸国への援助疲れ」などという表現があるように、部外者による他者への一方的な行為というニュアンスを帯びている。そうした援助は、経済的・政治的な利害関係の維持や、あるいは宗教的な信念などに基づかない限り、一過性の行為に終わってしまうであろう。また、一方的な行為ゆえに、貧困者がもっとも必要としている物ではなく、例えば、中古車や古着のような、富裕者が不要になった物を分け与えるということになりかねない。そして、援助を受け取る側は、屈辱にも似た精神的負担を常に強いられることになるのである。

 こうした南北間の位階関係・権力関係を否定するためには、むしろ「協力」という用語の方が望ましい。英語でいう「co-operation」は、ラテン語の「共に働く」ことに由来しており、当事者間の対等な位置関係を前提にしている。そもそも、貧富の格差を要因として人格的な格差が生じることはあり得ないのであるが、経済(経済学)至上主義ゆえに、多くの政策担当者は、この単純明快な論理を忘れてしまっている。

対等な「協力」関係の下でこそ、「自律的発展」が可能であると考えられるが、ここでもまた、「自立」と「自律」の相違に敏感でなければならない。単なる「一人立ち」に留まらず、日常生活や労働の局面において「自己を律する」という認識が、とりわけここでは、南の諸国の人々にとって必要不可欠であろう。例えば、「貧しいからといって、汚れた服装では恥ずかしい」という感覚が大切である。NGOが経営するインドのある学校では、登校時には身体を洗い、できるだけ綺麗な衣服を着て来るように勧めている。ボロをまとい、ゴミ拾いで生計を助けている極貧の子供たちも、お洒落に喜びを見出し、進んで学校に向かうようになる。そして子どもたちは、「人間の尊厳」の何たるかについて、自らの肌で感じ取るようになるのである。

3.貧者の声

 それでは、「絶対的貧困」とはどのような状況のことを言うのであろうか。世界銀行の定義によると、それは「栄養不良、文盲、疾病、悪環境、高い幼児死亡率、低い平均寿命などに特徴付けられ、人間らしい生活からはほど遠い状態」のこととされている。一般的にいえば、「絶対的貧困」はある個人・家計の収入と支出とを、「相対的貧困」はある個人・家計の収入と他のそれとを比較して定義されるが、生活水準が国によって異なるので、「貧困ライン」も各国ごとに設定されている。

ただし、国際比較のために、世界銀行は1993年時点の購買力平価換算で1日当たりの生活費1ドルを貧困ラインと設定し、それ未満で生活している人々を絶対的貧困層(または「極貧層」)と定義している。2001年末現在の統計で、世界で109270万人(世界人口の18%)が絶対的貧困の状況にあると推定されている。地域別では、インドなどの南アジアが4億2840万人ともっとも多く、次いでサハラ以南アフリカが3億1580万人、中国を含む東アジア・大洋州が2億7130万人などとなっている。なお、1987年の推計値では118320万人(世界人口の28%)であったから、世界の絶対的貧困は、世界人口に占める比率では減少したものの、絶対数ではほとんど緩和されてこなかったことになる。

それでは、1日1ドルの生活費とは、どのような状態なのであろうか。現在の為替相場は1ドル=約118円なので、日本ではコカ・コーラ1本の値段がほぼ1ドルである。このコカ・コーラは、例えばインドでは12ルピー(約32円、1ルピー=2.65円)ほどなので、同国の絶対的貧困層は、1日コカ・コーラ4本分で生活していることになる。もちろん、インドと日本との物価水準が異なるので、単純な比較はできないが、ここで留意すべき点は、コカ・コーラは多国籍企業が生産する「世界市場商品」であり、インド人の少なくとも富裕層は日本人と同じく普通に飲んでいる商品、つまり贅沢品ではない、ということである。そうしたコカ・コーラですら、インドに住む3.5億人以上の絶対的貧困層にとっては、めったに飲めない高級品になっているという現実がある。これが、経済的側面からみた「南北格差」の一例である。



  物乞いをする路上の親子(インドにて・室井義雄撮影

 だが、「絶対的貧困」はこうした経済的格差に留まらない、という点がより深刻である。それは、衣食住に関する基本的人間ニーズ(BHN:Basic Human Needs)を満たせないだけでなく、社会的差別や政治的疎外など、ひいては「人間の尊厳」そのものに関わる多義的な状況を意味している。このため、貧困を厳密に定義し、その人口数を統計的に把握することは難しいが、南の諸国の街角で貧困を見出すのはむしろ容易であろう。

 世界銀行は、貧困問題に関する従来の「数量的分析」を反省しつつ、199299年にかけて、世界の58ヵ国およそ6万人の絶対的貧困層に対してインタビュー調査を行なった。その報告書が、『私たちの声が聞こえますか?』、『変化への叫び』、および『各地から』という3巻のシリーズ本として19992002年に出版された。貧困問題のいわば「質的分析」としては、始めての試みである。「貧困とは如何なる状態のことですか」という質問に対する次のような回答は、絶対的貧困の多義性とその解決の困難性を静かに語っている。

    「何が貧困なのか、などと聞かないで欲しい。貴方がいま目にしているもの、
  そのすべてが貧困なのだから」(ケニア、男性)

 「なんの権力も無く、社会的地位も低いこと。路上で出産すること。プライバシー、
  人間としての尊厳、そして如何なる種類の安全もないこと」(インド、女性)

 「人権のすべてが否定されていること」(バングラデシュ、男性)
 「不健康。そのために、働きに行けないこと」(モルディヴ、男性)
 「草葺の小屋に住み、粘土のポットで水汲みに行くこと」(ウガンダ、少女)
 「食べるために金持ちから何かを盗むこと」(コロンビア、少年)

    こうしてみると、絶対的貧困とは、個々人の資質などに還元される問題ではなく、まさに、社会的構造の問題であることが分かるであろう。絶対的貧困層に女性や子どもたちが多いのも、彼女たちが置かれている社会的状況を反映しているし、また難民の貧困化は、それ自体、社会的・政治的現象である。

 こうして、論理的にいえば、絶対的貧困の緩和・解消のために必要なことは、社会構造それ自体の変革である。そして、ここでいう「社会」とは、「世界」と「国内」という二つの意味合いをもっている。すなわち、前者においては、政治的には米国に主導された「世界政治」であり、経済的には多国籍企業を中心とする「世界経済」である。そのいずれの構造をも、変革せねばならないであろう。また、後者の「国内」においては、責任の大半は南の諸国の為政者にある、と言わねばならない。軍事力と政治権力を掌握している彼らこそ、片腕や片足を失い物乞いする路上生活者を直視し、それに疑問に感じる社会的理性を取り戻して、「国民=国家」を建設せねばならない。

 4. むすびにかえて

 2003年に11年ぶりに改定された日本の「政府開発援助大綱」では、ODAの目的として、国際社会における平和の構築が新たに掲げられ、また、個々人に着目する人間の安全保障という視点が強調された。もちろん、それを否定するものではないが、これまで述べてきたように、われわれが目指すべき方向性は、一方向的かつ位階関係を伴うような「援助」ではなく、対等な位置関係を前提とする「協力」を通じて、他者による「開発」ではない、主体的かつ自律的な「発展」の道であろう。この、当然といえば当然の方向性を真摯に再確認すること、これが、われわれの出発点である。

 そして、上記の「国際平和」と「人間の安全保障」の構築を実現し、絶対的貧困を緩和・解消するためには、「人間の尊厳」という、いささか陳腐ではあるが、しかしいまなお忘れてはならない理念をもって、世界の政治・経済構造の暗部に楔を打ち込むことが必要である。これに加えて、南北の両世界に住むすべての人々が、非人間性に対して怒りと涙をもって抗議する、「社会的理性」を取り戻すことが必要であろう。

 こうした意味において、南北問題の今日的課題とは、南の諸国の貧困問題というよりはむしろ、われわれ自身における「思想の貧困」からの脱却なのである。

参考文献

室井義雄『南北・南南問題』(第2版、山川出版社、2005年)
室井義雄「貧困問題・国際協力」(『知恵蔵』朝日新聞社、各年版)

                         (むろい よしお・専修大学教授)


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