学部長からのメッセージ      
人間と自然との物質代謝
経済学部長 室井 義雄
2006年1月
   
 経済学部学生の皆さん、こんにちは。おそらく皆さんは、そもそも「大学」とは如何なる空間なのだろうか、「経済学」とは何を学ぶ学問領域のだろうかと、期待と不安の入り交ざった様々な想いを巡らしていることでしょう。
 そこで、「大学」という言葉の語源を少し考えてみますと、英語でいう「University」はラテン語のuniverseに由来しています。この言葉は、もともと「宇宙、森羅万象、全人類、普遍、博識、自在」など多様な意味合いを含んでいますが、ここから転じて、Universityには、「学問の共同体」という意味が付与されました。すなわち、大学は教師と学生諸君の両者が主体的に参加してこそ成立する、共同体としての知的空間なのです。この意味において、皆さんは、ただ漫然と教師の講義を聞いているだけではなく、自らの責任において様々な調査・研究活動を行なわねばなりません。このように、大学では、そもそも己は何者なのか、何処に行こうとしているのかという「自分探し」の旅に加えて、全世界の普遍的なるものを自由自在に、かつ主体的に学ぶことになります。
 
 専修大学経済学部の歴史は、米国留学から帰国した相馬永胤、田尻稲次郎、目賀田種太郎、及び駒井重格の4人によって、本学が創立された1880年(明治13年)にまで遡りますが、それでは、経済学部では何を学ぶのでしょうか。古代ギリシア語のoikos・nomosに由来する「Economy」という言葉もまた、多義的です。辞書をひも解けば、「節約、経済、有機的統一、理法、摂理・定制・経綸、神の計画・支配、家政」などが載っています。ここから転じて、経済学は、人類の生存にとって根源的でかつ不可避的な「人間と自然との物質代謝過程」を学ぶ学問領域である、ということになります。もう少し具体的に言いますと、経済学では、人間社会における生産・流通・消費・廃棄という経済過程について、家計・企業・政府などの経済主体を念頭に置きながら、国民経済と世界経済との相互連関において分析します。歴史・現状・理論という3つの側面から、人間の存在に関わる物質的土台・経済過程の「謎解き」を行なうこと、これこそが、経済学を学ぶ上での醍醐味であると言ってよいでしょう。  
 他方、日本語でいう「経済」の語源は「経世済民」に由来しています。すなわち、「世の中を治め、民を救う」ことが、経済学の本来的な使命であると言えます。経済学が「民を救う・貧困の経済学」から出発していることは、忘れてはならない大切なことです。日本社会における物質的豊かさを享受すると同時に、とりわけ第三世界・発展途上国における貧困問題にも敏感であるような、国際人として大きく成長して下さい。先に述べた本学の4人の創立者もまた、権威と強制に批判的で、平和と人権を愛する、字義通りの国際人でした。  
 John Lennonがかつて「Imagine」という曲の中で、「Imagine there’s no country」と歌ったことはご存知でしょう。今日の「国際化の時代」とは、このフレーズの持つ多面的な意味を、繰り返し問い続けねばならない時代なのです。学問共同体の一員として、皆さんの大いなる勉学意欲とその実践に期待しています。

  室井教授プロフィール  

1980年(昭和55)東京大学大学院経済学研究科単位取得満期退学。東京大学博士(経済学)。講師、助教授を経て89年(平成1)教授。専攻はアフリカの経済・経済人類学。国際経済学科カリキュラム委員会委員長、学部長補佐などを歴任。福島県出身。趣味は原始貨幣・古布など骨董品の収集。55歳。

 

「第三世界への視線」(『アエラ』2006年9月25日号)