ベトナム縦断旅行2009

W19 石森  

■日程 200993日〜99
■費用 8万円(内航空券4.5万円、旅行保険5千円)
■為替 1$17,925ベトナムドン、20,000ベトナムドン=100円、1$90.5
物価調査 ビール350ml88円、水2000ml=30.29

■スケジュール

<9/3> 成田→台北→ホーチミン ゲストハウスmimi

<9/4> ホーチミン市内観光 ドンズアン市場、大教会、戦争証跡博物館etc… 
     ホーチミン→ニャチャン バス泊

<9/5> ニャチャン市内観光 ニャチャンビーチ、guen spaでエステetc… 
     ニャチャン→フエ 寝台列車泊

<9/6> フエ市内観光byレンタルバイク、カイディン帝廟、ドンバ市場、
    阮朝王宮
etc…
     ゲストハウスビンジュオン泊

<9/7> フエ→ハノイ ベトナム航空国内便 ハノイ市内観光 ホーチミン廟、
    ホーさんの家
etc…
     ゲストハウスblue hotel

<9/8> ハロン湾観光 ゲストハウスblue hotel

<9/9> ハノイ→台北→成田
     成田20:30

■感想

 今回の旅行は大学の友人と二人で行ってきた。今年の春から計画を立て、バックパッカーの旅をテーマに、南北の伸びるベトナムを南から北上しながら縦断した。予算があまりなかったため、バス泊や電車泊有りのハードな内容であったが現地では新しい発見や現地の人々とのふれあいがとても楽しく、疲れは感じなかった。

ホーチミンで、宿泊するつもりであったゲストハウスが無くなってしまっており、初日からホーチミンの街で宿を探しに右往左往していた。そんな時、ひとりの日本人が声をかけてくれた。その方はフォトジャーナリスト村山康文さんであった。村山さんは私たちが9/4に訪れた国立の戦争証跡博物館で写真展をされているベトナムでは有名な方であった。ベトナム戦争で撒かれた枯葉剤で障害者として生まれてきたベトナム人や戦争によって体の一部を失ってしまった人々のところへ出向き写真を撮り、世に戦争の恐ろしさを伝えることを仕事としているそうだ。また現地でのスタディーツアーを主催したり学生との交流も盛んに行っているということであった。村山さんの写真は思わず目を覆いたくなるようなものばかりであり、異型な体をもつ人々が懸命に生きている様子が写し出されていた。戦争記念博物館の写真は平和について考えさせられるものばかりであり、戦争は二度と繰り返してはいけないと再確認ができる場所であった。写真を見て心があんなにも動いたのは初めてであった。

ニャチャンでは海に行ったり、エステに行ったりリゾートであった。エステは気持ちよすぎて半分寝てしまった・・・勿体ない。

 個人的にオススメは三都市目のフエである。ほかの都市に比べて交通量が少ないのでバイクを借りて一日行動した。一応日本の免許はもっていたがベトナムで乗って良かったのかは未だにわからない。交通ルールがないベトナムでの運転は非常に難しいものであった。カイディン帝廟は郊外にあるためバイクは正解であった。石でできた歴史ある建造物に圧倒され100枚近く写真を撮っていた。

 世界遺産のハロン湾はとてもとても綺麗であった。騙されてしまい若干ツアー代金を多く払ってしまったがそれを忘れさせるような絶景であった。今回の旅行で一番楽しみにしていた観光地だったので、感動の連続でまた行きたいと思った。

 ご飯はどれもこれも美味しいものばかりで全く日本食が恋しくならなかった。私自身ベトナム料理のほうが日本食よりも体にあっているのではないかとさえ思う。フォー、シントー、海鮮鍋、ヤギ肉料理、ベトナム風焼肉・・・どれも1000円を超えることはなく、大満足であった。

経済面では、道路はコンクリートで整備しとあるもののボコボコでバス泊では全くと言っていいほど眠れなかった。電車は時間通りに運行はするが車両は古く揺れも激しい。日本では考えられないレベルであった。市場のそばではゴミを拾って生活する人々や物乞いにも遭遇した。街が汚く衛星の面でも改善が必要であると思う。人々も暑さのせいか働く意欲があまり感じられず、仕事中も暇さえあれば電話かコンピューターゲームをしていた。電話やコンピューターはかなり発展していて、ベトナム人のステータスになりつつある。市場は活気であふれており、生活用品は大抵手に入ったため、バックパッカーも物資を調達できた。たくさん値切ってゴメンなさい。

 今回も帰国した途端に謎の腹痛に襲われ辛かった。

 といった感じのあっという間の七日間であった。次回はベトナム南下で!!