グアテマラ Study Tour

ME02 加瀬 貴
           

●日程 2002年8月26日〜9月14日
●予算 25万 (飛行機代12万、滞在費13万)


<スケジュール>

26日〜29日
 グアテマラに到着。税関でいきなり英語が通じず大変だった。空港は小規模で国際空港と
いう感じではない。グアテマ
ラシティはグアテマラの首都であり、ゾーン1から10まで
の10地区に区切られている。私が滞在したホテルはゾーン1に
あり、値段は手ごろで、
設備もなかなかだが、治安の比較的悪い地区にあったので夜の外出は困難だった。
銀行や外資
系ファーストフード店の前には銃を持った警備員が数名おり物々しい雰囲気。
食料品店も鉄格子に囲まれ、強盗防止の
工夫がされていた。

30日〜5日
 村落調査に出発。首都から車で5時間ほどの都市コバンの滞在。コバンにて現地NGOと
合流し、1週間で3つのコミュニ
ティーを視察。なおコバンは首都に比べて治安は比較的よ
いといえる。



 <3つのコミュニティー>

@ セワチル
 ここはコバンから車で一時間ほどの場所にある比較的交通の便に恵まれたコミュニティで
あった。人口は850人で1家
族あたりの子供の数は6〜8人。ここは内戦時代に村を焼か
れ、たくさんの人々が虐殺された経験を持つ。村民の話で
は、内戦時代に虐殺から逃れ
るため2年ほど山の中に逃げていたらしい。インフラ設備は電気のみ。


A ぺカラ
 コバンからさらに車で2時間進んだ都市ランキン近郊にあるコミュニティー。(ちなみ
にコバン、ランキン間の道路はガタガ
タ道と山道であり、舗装されていない。)このコミュ
ニティーは車が入れないため徒歩で向かった。2〜3時間かけて山道を
歩いていった。
途中には崖があり、危険な場所もある。人口は127人。最近カナダのNGOが入り農業
訓練が行われてい
る。道路がないため換金作物の輸送が困難である。インフラ設備は
整っていない。


B セパマック
 コバンから車で1時間ほどの距離にあるコミュニティー。二つのコミュニティーが協力
している。村にはティエンダと呼ばれ
る雑貨屋があり、女性グループ組織が運営管理
を行っている。識字教育には消極的。



<コミュニティーの様子

 土地に関する問題が多く取り上げられていた。コミュニティーの多くは、外国人経営の
プランテーションで強制的に使役
されたという歴史を持ち、いまだに土地が外国人(ドイ
ツ人)の物である場合が多く、自分たちの土地にしたいと言っていた。


 とうもろこしの製粉機の導入により、村の女性たちの生活に変化が現れている。時間的
ゆとりができ、識字教育などに
参加している人もいる。いくつかの村では、製粉機の管理・
運営によって得た資金で二台目の製粉機を購入したり、ティエ
ンダを開いたり、次の段階
に進んでいるコミュニティーも存在する。


 換金作物栽培に苦労している村もある。近年のコーヒー価格の低下により、また土壌の
荒廃化によって収入が少ないと
いう。そのため出稼ぎに出ている人達も多い。コーヒーに
変わる換金作物として、カルダモンと呼ばれる香辛料の栽培に
切り替えようと試みるコミ
ニュティーもあった。


 衛生状態はあまりよくない。子供たちのおなかは膨らんでいて栄養不足であるのがわ
かる。乳幼児を見ても、体に湿疹
があった。またシャーガス病、マラリア、デング熱とい
う感染症も流行。実際、乳児死亡率は高い。


 食物栽培も発達していない。山岳地帯が多いため、山の斜面に沿ってとうもろこしが栽
培されている。栽培法もばら撒き
栽培で栄養不良のとうもろこしも多い。土地の養分も失
われやすい。また斜面で栽培が行われているため、機械導入は難しいように思われる。


 識字率は低い、女性を対象に識字導入を行っている最中。また公用語のスペイン語を話
す人は少ない。会話はケクチ
語である。


<ニューヨーク>

9月9日〜13日
 同時多発テロから一年ということもあり、テロの追悼ムードが強かった。実際9月11日に
グランドゼロに行き、その場の
空気を感じてきた。泣いている人も多くかなり考えさせられ
た。敷地は大して広くなく、このような場所に飛行機が突っ込
んだのかと思うととても怖く
なった。テロ当日はイラクとの戦争に反対する人達が活動していたり、また街の人々の話
を聞
くと戦争には反対であると言う意見が多いように思われた。

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・番外:ミュージカル観劇で小泉首相に偶然遭遇。席も近かったため握手して小言を
     しゃべる。