タイ・カンボジアの旅
                                                               
W10 清水 美里
W10  坂東 香里
W10  迎 幸子



★予算:航空券6万2000円(成田―バンコク間)・生活費3万円・保険未加入。
★日程:2001年9月4日〜12日(タイ5泊・カンボジア3泊)
★旅の目的:めざせ!真の国際交流人!
★各自の目標:清水―ドリアン完食(失敗)。 坂東―日焼けしない。 迎―バーツを使いこなす。
★発見したこと・・・人は簡単には死なない


<9月4日>
 21時、バンコク着。エアポートバスに乗って(100バーツ)、バックパッカーの街、カオサンロードへ向かう。2部屋に分かれてゲストハウス(150バーツ)に泊まる

<5日>
 4時に起床し、5時に宿を出発。始発列車に乗ってカンボジアに向かう。所要時間5・6時間。あまりの眠りの深さに、窓枠に思いっきり頭をぶつけてタンコブを作り、周囲の人に笑われる(坂東)。
 終点のアランヤプラテートからトゥクトゥクに乗り国境へ。カンボジア入国後は、ピックアップ・トラック(トラックの荷台)に詰めこまれ(18人)、5時間。途中、隣りの子供のオシッコや泥がかかる(迎)。はねた石が顔にあたり負傷者も・・・。自分を支える右手が命綱。ゲストハウス(2ドル)に、この日から3連泊。

<6日>
 バイク・タクシーを1日貸切りでアンコールワットを見学。3日パスで40ドルとかなり高め(決してボラレてはいない)。ドラーバー達は、日本語の勉強に必死。日本語をマスターすれば、ドライバーからツアコンになれ、お金も稼げる。
 ゲストハウスの人達と夕食(鍋)。その後、屋台でデザート。最後に、カンボジアのディスコへ(まるで阿波踊り・・・)。

<7日>
 ドライバー達ともかなり打ち解け、滝遊び。そして、前日のごとく、夕飯、デザート、ディスコへ繰り出す。ドライバー、泥酔、披露困憊。酔っ払いは、万国共通。

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<8日>
 バスにてタイに戻る(15ドル)。冷房が効き過ぎ、音楽がうるさ過ぎで、トラックの荷台が恋しくなる。朝に出発したのが、到着したのは夜。インターネット・カフェ、初体験(1分1バーツ)。カオサンロードにて、日本人に「メンツがたりないんだけど・・・」と飲みに誘われる。ここは、日本か??。

<9日>
 「贅沢は敵」の私たちも、この日ばかりは!!と、はりきってグランド・ハイアットエラワンにてランチブッフェ。至福の時を過ごす。オープンからクローズまで、ずっと食べる食べる・・・。
 3人揃って下着も購入。ワコール・トリンプなど、日本よりかなり安く買える。下着売場は、日本人で大盛況。

<10日>
 ムエタイを観戦。みんなに止められたが、現地のオジサンたち(バクチのためにすごい熱気)がひしめく3等席で観戦。生まれて初めて、ノックアウトを見る。試合前の「舞い」に感激。

<11日>
 カンチャナブリー(「戦場に架ける橋」)に列車の旅。車掌さんも、日本語勉強中とのこと。結局、途中下車をやめ、終点まで4時間、乗りっぱなし。お昼に頼んだ料理は、すべてが辛い。
 滝の見学中、うっかり滑って水浸しになったため、帰りのバスにて窓から手を出し、靴の天日干し。一瞬睡魔に襲われ、気付いた時には片足のみが手元に・・・。ビーチサンダルで残りの日程をこなすことに(清水)。

<12日>
 朝、4時に空港着。ユナイテッド航空のチェックイン・カウンター長蛇の列。はじめは状況がつかめなかったが、どうやら飛行機が飛ばない様子。情報が錯綜していたが、香港経由で帰れることが判明。美里だけがなぜか1便前のビジネスクラスに!!!。不満の2人(迎・坂東)。
 無事、成田着。ここからがまた、長い旅・・・(ゼミ合宿へ向かう)。

旅を終えて・・・
 
 タイではほとんど首都にいたこともあり、カンボジアでのことが深く脳裏に焼き付いている。人との出会いが旅の醍醐味だなあーと感じ入る、お気楽3人娘であった。