タンザニア キリマンジャロ植林ワークキャンプ

W09 海老原 弘行


 内容と目的

タンザニアでは急速な人口増加と、それに伴う薪炭材需要の増加による森林の減少によって農業などに悪影響が出ている。
現在アフリカ各地で、そこに住む人々自らの力で自然の荒廃を食い止め、
生活環境の改善を図
うという努力がなされている。
 私たちはそういった現地NGOの一つであるTEACAを支援し、
彼らと共にキリマンジャロ山での植林に参加した。
労働奉仕としての側面は薄く、参加者にアフリカでの生活を体験させることによって、
地球市民としての
意識の啓蒙をはかることに重点が置かれていた。

 

  期間

2000年2月10日〜3月1日

 参加費

        32万円(航空運賃、その他交通機関運賃、空港税、宿泊費、食事代、査証費等込み)

 その他費用

 10万円位(予防注射、荷物など個人的性質の諸費用、国内交通費など)
旅行期間中の所持金は300ドルで十分余った。
タンザニアの通貨はタンザニアシリング(
Tsh.で1ドルが800Tsh

参加者 22名(男性10名、女性12名)

 大半が大学生。それ以外は農業従事者、定年退職後の方、フリーターなど、
様々なバックグラウンドの人が参加した。


   所持品 

 パスポートや衣類などの普通の旅行に必要な物の他に、イェローカード、帽子、サングラス、
植林用の手袋と靴、虫除け、蚊取り線香、マラリア予防薬、寝袋、キャンプ用マット、
懐中電灯などを用意しなければならない。また、手荷物の全てにか
ぎをかける必要がある。
ワークキャンプの参加費に保険も含まれていた。個人的に別途、海外旅行保険には加入するように言われていたが、
アフリカは特に高かったので(3週間で2万円ぐらい)、加入しなかった

  予防接種について

 黄熱病は必須。証明書(イェローカード)がないとタンザニアに入国できない。
大手町の鉄鋼
会館などで扱っている。他に破傷風の予防接種を受けた。
コレラは
感染したときの苦痛と注射を受ける手間と苦痛を比較し、
感染率の低さと注射の効果
(あまり効かない)を考慮すると 
打つ必要はないと先輩に聞いたので、
打たなかった。特に問題はなかった。


 食生活について

 朝食は、必ず食パンが出る。ホテルでもホームステイでも同じ。
それに苺のジャムとバターがついてきて、その二つを混ぜて食べる。
それ以外は現地の庶民
的なものを食べていた。バナナを油で揚げたものや、
トウモロコシ粉を餅状にしたもの、米(タイ米に似ている)などを主食にして、
卵焼き、ジャガイモ、
骨付きのステーキ、チキンなどを食べた。
タンザニアでは牛肉が一番安く、鶏肉は高い。魚介類は非常に高い。沿岸部は安いのかもしれない。
一度オクトパ
スカレーというものを食べたが、全く辛みが無くシチューのようだった。
インドでは朝食以外は必ずカレー。不思議と飽きなかった。


 滞在地(時系列)と出来事など

インド・ムンバイ

 トランジットで一泊した。暑い中、排気ガスと野牛の牛糞の匂いが混ざった空気で気分が悪くなる。
到着し
てすぐににせものの送迎バスに乗せられる。怖くて、着いてすぐなのに帰りたくなる。
老若男女、様々なタイプの物乞
いがやってくる。全面無視。 
 インド人は、食べ物と気候のせいか全てにおいて自己主張が強い。
車の運転は、絶対に譲らない精神らしく(日本は譲り合い)、追い越し、幅寄せなどが激しい。
渋滞すると辺りにクラクションが響き渡り、停車した車の窓には物乞いがへばりつく。
喫茶店では自分より前に頼んだ人の物でも、自分がそれを欲しければ横取りする。適応すると楽しい。


タンザニア・ダルエスサラーム

 タンザニアの入り口で実質的には首都。インドとは打って変わって、
空港を降りるとなぜか気分がよい。インドはスピード感のある空気の中で、
常に自己主張しつづけることで適応し、そんな自分と周りを楽しむ感じだが、
タンザニアは正反対。のんびりした空気の中で、常に寛容であり続けた者勝ち。

 一日中バスで移動。窓から人々に手を振ると、曇りのない笑顔が返ってくる。
途中、何度も検問所があり車を止めるのだが、待ち伏せをしている子供たちが、
タバコやお菓子などを売りに窓をたたいてくる。夜はひっそりとしている。
インドの夜は危険ではあるが、夜遊びのための店があった。ダルエスは犯罪が多く、
そういった店すら作れないらしい。夜の経済がないということは、雇用の機会がそれだけ少ないとも受け取れる。


モシ

 キリマンジャロの入り口といえる街。買い物をしに行くことが多かった。
街中は日本車ばかり走っている。特に古くなった救急車や教習所の送迎バスなどが、
そのままの塗装で走っている。世界各地から登山家が訪れるので、多少の英語は通じるが、
スワヒリ語を極力使ったほうがよい。買い物をすると日本人はいつも3倍高い金額を提示されるが、
スワヒリ語をしゃべると、安くなりやすい。彼らも悪気があってぼったくるのではなく、
交渉を楽しんでいる感じ。
金額に文句をいうと、待ってましたとばかりにディスカウントがはじまる。
もちろん日本語で交渉しても何とかなる。買い物はとても楽しいが、疲れる。

オリモ

 キリマンジャロのふもとの村。標高2000メートル。電気がない。
この村に滞在して植林活動を行った。
寝袋や懐中電灯が活躍するような生活。

 オリモでの植林や出来事などの詳細は、私の進級論文「タンザニア・キリマンジャロ植林ワークキャンプに参加して」
(『専修大学経済学部 室井義雄ゼミナール論文集 第19号』所収)を参照して下さい。



ザンジバル  

 タンザニアはインド洋に面しているのだが、そのインド洋にある離れ小島。
ダルエスから船
(日本と変わらないような客船)で2時間程度。植林のあと、
3日間
観光で滞在した。形式的にタンザニア領となっているが、歴史的にはまったく異なる背景を持つ。
事実上、別の独立国といった感じで、タンザニアから入る際にもパスポ―トが必要になる。
 
 タンザニアでは土と牛糞で固めた家屋や、都会でも牛糞がコンクリートに変わっただけのような
家屋ばかりなのに対して、ザンジバルの街並みはアラブ風である。
イスラム教の島で朝と夕方には礼拝がある
(タンザニアはキリスト教)
既婚の女性は顔を隠しており、酒も手に入らない。夜は治安が悪く、
歩いているとポケットに手が入ってくる位、スリが多い。香辛料だと言いつつマリファナ
を吸わせようとしてくる者もいた。以前、奴隷市場があったところに現在は教会が建っており、
観光客を集めていた。収容所あとに入る機会もあり、感慨深いものがあった。
また海辺は水色の海と白銀の砂浜で、非常に美しかった。

タンザニア人について

 とにかく陽気でプラス思考。街には笑い声が絶えない。
困ったことがあると人に頼ろうとばかりするが、誰かが困っているときは協力を惜しまない。
子供たちはとても素直でかわいいが、プレゼントやお金を要求してくることも。
写真をとられるのが大好き。英語はほとんどの人が喋れない。発音も悪い。
しかし
中にはネイティブみたいな人もいる。日本人と同じだと思う。
 時間にルーズだというイメージがあるが、それほどでもない。
ただ、事務的な細かい手続きや約束などは苦手らしく、それが原因で物事が時間どおりに運ばないことは多い。
他力本願的なのか、自分たちで生活環境を改善しようという心意気に欠けているような気もした。
国としての未来の展望が持てないからなのかせいか、
国を離れて先進国に住みたがる人が多い。
 しかしながら、個人的にはタンザニア人はこうだ、という風に一般化するのはなかなか気が引けるものがある。
自分が例えば、日本人だからという理由
だけで先入観を持たれるのが嫌だからだ。
大体当たっていることが多いけど。



このワークキャンプに関する問い合わせ先

タンザニア・ポレポレクラブ
住所:  107−0062  東京都港区南青山6−1−32−103
E-Mail:pole2club@hotmail.com
Homepage: http://polepoleclub.hoops.livedoor.com