ワークキャンプ 森林編 IN タンザニア

W12  和田 充

    主催NGO:ポレポレクラブ
 期間:2001年2月8日〜2月28日  費用:約30万円+α(その他渡航準備費用)
   
  @   生活編

 起床後、朝食(パン・果物・コーヒーor紅茶)をとり、植林へ8時には出掛ける。
大体正午には昼食(パン・チャイ・揚げバナナ・バナナ)をとり、2時まで植林をし、共同施設へ帰る。
その後、子供達とサッカーをするものもあれば、
お風呂(といっても桶1杯のお湯を上手く使って汗を流す程度だが)に入るものもいる。
そして、だいたい5〜6時には夕食(自炊である。
交代制による食当班が買出しから夕食の支度までを一日を使って用意する)が出来上がる。
その後、BARに飲みに行ったり、ランプの下様々なことを語ったりして過ごす・・・
というのが基本的な生活パターンである。

 このような共同生活は今までに一度も体験したことはなかった。
もちろん、林間学校など、学校行事では自炊をする機会もあったが。始めて成田で顔を合わせ,
相手のことをまったく知らない同士が共同生活するというのは滅多に無いことだろう。
共同生活に関していえば、確かに気を使うことも、我慢しなければならないことも多くあった。
しかし、それ以上に、様々な職種、様々な経験の人々と語ることができ、
違った意味で世界が広がったように思う。


A 植林編

   作業は、パンガと呼ばれる道具による草刈り作業から、穴掘り、植林、という形で行われた。
かなりの肉体労働である。山登りさえ慣れていない私たち日本人。
一方、慣れない日本人を見て手伝わずにはいられない現地の人々・・・という構図が自然と出来上がっていった。
その差は歴然である。というのも、作業中聞こえてくる話し声は、
スワヒリ語だけといってもいいくらいだったから。


B マーケット編

   日々の食事の材料は食当班が、オリモ村から約20分のモシとういう町まで買出しに行かなければならない。マーケットには野菜・果物から日用品の例えばバケツだとか箒だとかまで、様々なものが売られている。
食品は大体相場が決まっていて、場数をこなしていくにつれ、分かってくる。
しかし、道端で売っているものは値段があってないようなものが多い。
(←インドでもそうだったので、そういった国も多いのではないか。)
買いたいものが決まったら、後は商人とのかけ引きである。なかなか楽しかった。


C 子供編
 子供達は甘えん坊もいれば、恥ずかしがりやさんもいて、日本の子供たちと同じである。
ただ、オリモの村でも子供は重要な働き手である。
家畜の餌や、薪集め、薪割などなど、女の子は夕食の支度も手伝う。それが学校帰宅後の彼らの日課になっている。とりあえず、よく働く!というのが私の実感である。
朝早くから学校の清掃をしたり、植林にきたら日本人の手助けをしたり。
私は詳しいことは言えないが、昔の日本もこういった感じであったのだろうかと感じた。
最終日に試みとして運動会をしてみた。二人三脚だとか縄跳びだとか、○×ゲームなどである。
現地の人には“運動会”という概念はないそうだが、それを通して、「やればできる」という思いが強まった。

あまり上手く説明できなかったが以上にしておく。


D ホームスティ

   私は、モゼス・マエダという前村長さんの家庭に二日間お世話になった。彼はコーヒー栽培者である。
しかし、近年、出荷時のコーヒー豆の価格ががた落ちし、売る気にならないと語っていた。
夕食時、そして、朝食時にご馳走になったコーヒーの味は、今でも覚えている。
その味を、後世に繋げなければならない、そう思った。


E まとめ

   この旅を通して思ったのが、言葉の壁は大きい!ということである。
確かに、伝えたいことが伝わらなくて死にそうな思いをした、ということはなかったが、
もう少しスワヒリ語を知っておけば、ちゃんと英語を話すことができれば、
あれもこれも聞くことが出来たのに・・・というように感じたことがあったからである。
言葉の大切さを知った。

   そして、一番私にとって大きかったのが、“人”が実感できたことである。
行く以前は、本を読んでも、テレビで見ても、真実味がないし、
人の温かさを感じることも出来ない自分がいたように思う。
しかし、行ってはじめて、同じ人間が生活しているのだ!という、
当たり前のようで自分には当たり前でなかった発見をした。
『人の存在の発見』が、この旅をまとめる言葉かもしれない。