序言 「ICE CUTTER 1994」に寄せて

 本書は、私のゼミ、第10期生13名の卒業論文集である。私が専修大学に職を得てから、今年の春で13年の月日が経つ。この間、社会に巣立っていったゼミ生は、今期生を含めて総計83名である。当初から、このゼミの雰囲気は摩訶不思議であった。ゼミのテーマが「第三世界」この範疇は、「日本における、周辺化された部分」をも含む、広義の概念であるということもあって、ゼミに集まった学生たちは、現代社会の底辺や裏側の世界に強い関心を抱く、それぞれにユニークな個性の持ち主であった。
 もちろん、この10年間の時代の変化に応じて、それぞれが関心をもった個別テーマは様々であったが、あえて整理すれば、「社会的弱者と差別」「経済活動と自然環境」「第三世界諸国の社会経済発展」「日本の農業問題」そして「自己の存在理由」などが、各ゼミ生に通底する主要テーマであったように思う。いずれの世代においても、各人の卒論テーマは、これらの問題群に多かれ少なかれ言及するものであった。
 こうしたゼミ生に対して、私は二つのことを繰り返し述べてきた。その一つは、既成の経済学の枠組みに囚われないで、各自の「直感」を信頼しつつ、自由な発想から物事を考えてみてはどうか、ということであり、もう一つは、その際に、各自の生活空間の場に視座を定めて、「自己存在」との関連の中で、それぞれの問題群に接近してみてはどうか、ということであった。「他人の言葉」による、経済的データの「解説」に終始している論文や、「私」や「私との関係」が少しも見えてこない論文は、私はあまり評価したくない。というのも、「第三世界」を対象に人々の「顔」の見える分析をしようと思えば、経済分析のみではとうてい無理であるし、この「顔」が他人のそれのみならず、自らのそれをも写し出すものでなければならない、と考えるからである。
 学生の卒業論文とは、4年間に学んだ「知識」を教師に披露することではなく、各人が「自らの生き方=思想」を模索する第一歩である、と私は思う。社会的地位やお金ではなく、この確固とした「思想」こそ、社会の荒波に揉まれるであろう卒業生の、最大の武器になるに違いない。それぞれの「思想」は今後さらに磨かれるべきものであるが、それはまた、不条理な現代社会を変えていくための、次の世代に継承されるべき財産にもなると思う。
 このゼミがユニークであるというのは、いつの世代においても、私の一方的な「想い入れ」を各人が柔軟に受け止め、一見、それぞれが勝手な方向に走り出しているように見えても卒論テーマの不統一性にみられるように、「最後には自分について語りなさい」という私の「教え」をそれなりに守っており、その「語り口」に、各世代、各論文を貫く<一本の赤い糸>が私には不思議と見えてくる、という意味においてである。
 ・・・中略・・・


 さて、ここで、本論文集のタートル「ICE CUTTER 1994」の由来について、一言触れておこう。卒論発表を終えた後、全体のタイトルをどうするか、皆で相談していた。全ての論文に通底する<一本の赤い糸>、これをタイトルにしようと思っていた。当初、「幻想を超えて」「自然・人間・社会」「排除と共生」など幾つかの試案が出たが、どれも今一つしっくりこない。
 一時間近く議論して頭が廻らなくなって頃、雑談が始まって、その中で飛び交った言葉の中に「アイス・カッター」というのがあった。「それ何?」「朝、寝入っている者を起こす荒技の一つで、両手を冷蔵庫の氷で冷やし、寝ている者の首筋にあてる」。浪江君の説明によると、その他にも色々あって、「シベリアの風」(布団を引き剥がし、窓を全開する)「サンダー・ローリング」(寝ている者の上をゴロゴロ転がる)等々。
 私は、迷わず「これだ!」と思った。想えば、この初波荘は縁が深い。第2期生の卒論発表以来9年間、春合宿は全てこの宿である。今回の卒業生も、1年次の春から今春まで、4回お世話になった。我がゼミの合宿は、夏・春ともに凄まじいもので、私は合宿の度に寿命を縮めている。夜中の1時頃までゼミを行ない、それから3時、4時まで酒・雑談・麻雀・・・。朝ご飯抜きの者も続出で、村尾君の場合など、下手に起こそうとすると、周りの者が身の危険を感じるという。
 「アイス・カッター」は、まさに我がゼミの合宿、そして、よく遊び、よく学んだと想う、我がゼミの雰囲気を象徴する言葉である。また、合宿参加者だけが、この言葉に込められた深い情景を理解できる、という点も気に入った。また、合宿日程(1994.1.31〜2.4)にちなみ、「1994」を加えた。
 もう一点、「アイス・カッター」という言葉には、「氷のように冷たく不条理な世界に、カミソリのように鋭い刃物で立ち向かい、氷を解かして、暖かい人間の世界を取り戻す」という意味合いを込めることができる。これはまさに、第10期ゼミ生13名の卒業論文に通底する<一本の赤い糸>そのものである。当初、「本当にこれにするの?」といぶかっていたゼミ生も、私の解説に納得したようである。瓢箪から駒、ではあったが、出色のタイトルであると思う。
 ・・・中略・・・


 最後に、私の留学準備の都合から、新ゼミ生の募集をしなかった。直接の下級生がいない第10期生には、ある意味で寂しい想いをさせてしまった。お詫びしたい。
 はじめに触れたように、10年という月日は、私にとっても一つの区切りである。卒業生には、「桃・栗3年、柿8年。仮に嫌な職場でも、最低3年は頑張ること。8年経ったら、自分の人生を最初からよく考え直すこと」などと言ってきた。私自身、これを契機に過去の教師生活を振り返り、次の新たな10年を目指そうと思っている。

                    1994年2月12日、娘9歳の誕生日にて

  *個人論文への批評


 *この序言は、いまから7年以上も前に書いたものである。読み返してみると、やや表現が硬い気もするが、ゼミナールに対する私の姿勢は今でもさほど変わっていない。しいて言えば、やや甘くなったか。「好きにせい」、という回数が多くなったか。そんなところである。                         
                                       (2001年8月16日、川越にて)
 
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